作曲家を目指していたが諦めてしまった過去

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私は約2年前まで作曲家を目指していました。

諦めた理由はただ一つ。

センスが無いと感じたから。

元々、私はバンドでドラムを担当をしていたので、メロディやコードなんかはギタリストやベーシストのほうが詳しかったです。

だけど、私はバンドで作曲(半分程度の楽曲)を担当することに。

それも自分から率先してね。

作曲に興味を持ちだしたのは、XJAPANのYOSHIKIさんの存在でした。

バンドを始めたきっかけもXJAPANを聴いてから。

周りにXJAPANにハマっている人は滅多にいませんでしたが、当時高校生だった私は夢中でした。

バンドをやったことある人ならわかると思いますが、好きなバンドの自分と同じ楽器を演奏している人を見ますよね。

ドラム担当の私はYOSHIKIさんにメロメロ。

YOSHIKIさんのことならなんでも調べましたし、真似もしました。

のちに彼は作曲としても一流の才能があることを知り、その魅力に惹かれ、自分も作曲をするようになりました。

パソコンで自分のメロディを打ち込み、それをみんなに聞かせ、バンドで演奏する。

演奏したメロディに命が吹き込まれ、ライブで聞いてくれる人がいる。

ドラムで1曲演奏するより、自分の作った楽曲を聞いてくれる方が感動や達成感があった気がします。

やがて、約3年間活動したバンドは解散し、特に新しいバンドでまたドラムをしようという気にもならず、毎日パソコンに向かって曲を書き続けていました。

色々な作曲家の活躍を知るうちに、自分も作曲家になりたいと思うように。

作曲家を目指したころは前山田健一(ヒャダイン)さんに憧れていました。

生い立ちを調べると、かなり苦労していた時期もあったようで、売れてきたのは20代後半ごろ。

自分があと10年根気強く頑張れば、前山田さんのようになれる!って思っていました。

しかし、前山田さんは幼いころからピアノをやっており作曲をする術はそろっていました。

あとはメロディが出てくるかどうかというセンスと努力のみ。

そして、その努力があったから今こうして成功していらっしゃるんだと思います。

UVERworldのJust break the limit!ていう曲の中に、

十八の時 始めるには遅いって諦めたピアノ

二十歳の時 同じ理由で思い閉じ込めて

その二年後に諦めきれず 始めたピアノの沢山のメロディーが 僕に今をくれた」

引用:UVERworld「Just break the limit!」

という歌詞があります。

前山田さんは幼いころからピアノを始めて努力して作曲家になった。

自分は20歳からピアノを始めて作曲家になれるのだろうか。

そう思った時に、この歌詞を思い出しました。

自分にだってできるって思い込みました。

しかし、何ヶ月と数年経っても、1曲が完成することはありませんでした。

自分には才能が無かったと感じ、諦めてしまいました。

自分に負けてしまいました。

正直、いまになってめちゃくちゃ悔しいです。

なんでもっと本気で努力しなかったのか、もっとできたんじゃないのか。と後悔しています。

もう、そんな後悔はしたくないです。

いましたいこと、やりたいこと、できることを精一杯やっていきたいと思います。

なぜ自分は起業したいのか本気で考えてみた

2017.10.20

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